2011年5月18日水曜日

福島県へ帰省

先日(嫁の私)地元に帰省しました。終わるどころか悪化するばかりの原発問題。考えたくないけど頭の隅っこは常にこの事ばかりです。美しい山や田園風景、きれいな空気、水、食、「人」までもを一瞬にして汚されてしまうとは....
丁度帰った日は天候も悪く景色はこんな感じ。今の状況を表しているかの様。(じめっとした暗い話はナシと思ってましたが...書いてしまってすいません)実家は田村市で30kmの円からギリ外れてはいるものの風向きによっては危険な地域。電話で「自主避難した方がいい」と家族に言ったところで、長年住んだ土地を離れ全ての財産を捨てて行くことなんて、相当の勇気と覚悟がなければ本当に出来ない。
被害を受けた地域の皆は、毎日真面目に田畑を耕し、自分の庭で採れた野菜を食し、贅沢もせず、電気だってそんな使わずただ質素に暮らしていただけなのに、皆からは溜息しか聞こえて来ない。

地域の様子と友人らの近況を聞きに懐かしい道路を走った。すれ違う車は自衛隊かマスコミ。途中で見てはいけないゴミが捨ててあった(またですか!信じられない!)
都路町で20km手前の所で立入禁止の掲示、奥には警官が15人程居た。
友人らは既に市内へ避難。ぽつぽつとおばあさんが畑をし、町は閑散としていた。おいしい牛や豚はもう食べられない。他の町もムシムシランドも、あぶくま洞も、星の村も、以前とはまるで違ってた。悲しい。

家に居ると日に何度も防災無線で聞き慣れない単語や、水道水は大丈夫なので安心して飲んでくださいなどと、バカでも違うだろうと分かるようなアナウンスで洗脳してくる。
ネットもしない田舎の人には情報がなく、テレビで国が発表しているものにすがるしかなく確実に汚染されているのに、内心では疑いつつも大丈夫と言ってるからとみんな普通に仕事へ行き、学校へ行く。
小さなスーパーでは「がんばろう、福島」「地産地消」などとデカデカと書いてあり、汚染された地元の野菜を、地元の人が可哀そうだと毎日買って食している。むなしすぎる。
「がんばっぺ、福島」が今は→「さすけねぇ、福島」(もはや諦めの境地)↑甥っ子達も学校へ。天気の悪い日は迎えに行く。うちの方は他に比べ線量は低いものの学校は1.4msvあった。この状況で集団登校が義務づけられているなんて片道45分も歩くのに不思議すぎる。そしてマスクは途中で外してしまう。はぁ...。
裏の畑にペンペン草がわさっと咲いてた。これから緑が茂ってきていい感じなのに...

現状はこんな感じだが、うちの家族はすこぶる明るくお気楽なもんだった。根がそうだからか?笑。母は最近猪苗代湖ズの歌を気にいってる。
とりあえず甥っ子達だけでも避難と強く促し、知る限りの情報を置いてきた。梅雨になるとこのあたりを直撃する「山背」が吹く。そうなれば汚染はもっと深刻になる...。
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皆口をそろえて言うコト
「他県は復興が可能だ。しかし福島県だけは復興には程遠い、がんばろうと応援してくれるのは凄く嬉しい。しかしどう頑張っていいのか全く分からない、誰か教えて欲しい」

人はネガティブに考えるのは容易く、元気に振る舞うのはかなりの力が要る。
何か希望が見えるような、集中してそのgoalに全員が向かえる様な何か「画期的なアイデア」があれば不安があっても負けないのに。しかしそれさえも奪われている。
いつか希望の持てる様なそんな産業が早く生まれることを願う。いやその前にまずは原発のウンコどうにかして、さっさっと県民に避難指示出して、補償ガッツリしてもらわない事には!!
またちょいちょい地元へ帰ることにする。

かあちゃんが気に入ってる猪苗代湖ズ。仙台の時の同期が映ってて懐かしかった。彼女もそういえば実家は名取で大変だったろうに..元気そうでそして変わらず美人w